【世界の街並み紀行】ウズベキスタン

今回は中東の国、ウズベキスタンの街並紀行をお届けします♪

 
 
 
 
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ウズベキスタン
「ウズベキスタン1人旅」

自分は思い立ったことを行動に移すことが好きだ。自転車に乗って70km走って海に行ってみたり、バケツプリンを作ってみたり。過去には友人と思いつきでインドに行ってみたりもした。思い立って行動する事は、自分の感情に最も素直になれる気がする。ぼくは自分が大好きだから自分に素直でいたいのだ。

今回の思いつきはウズベキスタンに行くことだった。
理由は世界史の教科書で見たサマルカンドの「青の都」と呼ばれるレギスタン広場の風景を生でを見たくなったからだ。
思い立ったのは12月。すぐに航空券やビザの手配を澄ませた。

チンギスハーンが、汗血馬が走ったあのシルクロードでおれは風になれると信じてやまなかった。風になるためにおれは中央アジアの地に立つんだ、大学入学時からこう思っていた。その年、少しでも知識や旅中の視野が広がる事につながればと考え、大学ではロシア語を履修した。履修したとは言ってもキリル文字を読んだり、「お手洗いはどこですか?」程度の知識しか持っていなかった。

ほどなくして出発当日を迎え、ソウル経由で成田からウズベキスタンの首都タシュケントまで10時間かけて向かった。タシュケントに到着は夜で日本人は殆ど見かけなかった。効率の悪い入国管理システム、旧ソ連時代から使用しているであろう設備の古さばかりが目立ったが、なんだか新鮮な気持ちで迎える事が出来た。しかし共産主義の臭いが立ちこめる入国管理に2時間も要し、タシュケントの街に出たのは夜中の2時頃だった。

 

1) ウズベク到着時のホテル

 

2) ナンと地ビールとウズベウ風餃子

 

 

たとえばウズベキスタンのように「○○スタン」と聞くと、治安が悪いとか内紛が起こっているというイメージがつきもののようである。けれどもウズベキスタンはそうではなく、治安は安全そのもので物取りに遭遇したり危険を感じたような事は一切なかった。
それどころか、人は暖かく、食事もおいしく、建築も壮大で美しくとてもすてきな滞在をする事が出来た。
その魅力を少しずつ紹介していこう。

 

4サマルカンド駅

でかい…!

 

① サマルカンド
世界史が好きな人は聞いた事があると思う名前のこの街。紀元前10世紀頃に都市として生まれていた。古代からこのサマルカンドでは国が誕生と滅亡を繰り返したが、その中心に常にこの街はあった。
サマルカンドは首都タシュケントに次いでウズベキスタンで二番目に大きい街で、その歴史は深い。そういうこともあって、古代の巨大天文台遺跡や博物館など見所はそれなりにあるのだが、旅行者に人気で最も素晴らしい場所は「青の都」と呼ばれるレギスタン広場が一番だろう。
冒頭でも書いたがぼくがウズベキスタンに行こうと思ったきっかけの建築物で、旅の目的地だった。

サマルカンドの駅から500スム(日本円\25 ※滞在時のレート)で行く事が出来、わからなくても「レギスタン」とカタカナ発音で言えばウズベク人は理解してくれる。とても訪れやすい観光地と言えるだろう。
建築自体はイスラーム建築特有の青色モザイクの鮮やかさと、大陸性気候ならではの空の青さの相性がばっちぐーでとても美しい。ここまで美しい空は他にあるのだろうか、と感じるほどだった。
レギスタン広場の建築はティムール朝の君主ウルグ・ベクが神学校として建設し、その姿は当時からそのままの姿でいまも残っている。訪れる人を暖かく見守っているかのようにどっしりと構えているその姿は雄大だ。
なにより、高校時代に教科書で見た風景が目の前に広がっていると、達成感というか安心感というか、とても大きいものに包まれた気がした。

レギスタン広場は観光地だが、近くにあるバザールは近隣の人の生活の場そのもので、ふらふら歩いてみると生活の一部を垣間みる事が出来る。名物のナン(一般的なイメージのインドのナンと異なり、ウズベキスタンのナンはただの硬いパン。だけどものすごくおいしい)やドライフルーツをたくさん試食させてもらった。
見所は豊富だし、旅行者も多く情報共有には困らないし、なによりすてきな街である。
ウズベキスタンの国土は広大だが大部分を草原が占めるため、発展した都市は多くない。この国を訪れる機会があればいやでもサマルカンドは通ることになるが、何日いても飽きないくらいお勧めできる街だ。

 

5レギスタン広場


6サマルカンドのバザール

 

②ヒヴァ
続いてお勧めしたいのが、ヒヴァである。
サマルカンドから東へ進み、ブハラ、ウルゲンチという街を経由した先にある。ヒヴァは「イチャン・カラ」と呼ばれる城塞が街の中心になっており、城塞の内部がそのまま観光スポットになっている。城塞の中の家屋には現在も生活している人々がおり、土やレンガで作られた家々が彼らを支えていた。
た。
この街も歴史があり趣きがあった。またこの街で感じた事はウズベキスタン人の優しさだった。ウズベキスタンでは英語の通用度は低く、ぼくもロシア語で意思の疎通をとれない(お手洗いの場所はきけます。ウズベキスタンでお手洗い探しに困ったらぜひとも呼んでください)のでコミュニケーションに困る事は多々あった。そんな困っているときでもウズベキスタン人は優しく声をかけてきてくれたり、道を訪ねると笑顔で返してくれたりした。
そういった優しさを最も強く感じたのがこのヒヴァだった。

 

7城塞都市ヒヴァの外壁


8ミナレットの上から望むヒヴァ


9ヒヴァの町並み

 

ウズベキスタン人はとても親切で、時に人懐っこい性格である。
あるときサマルカンドの公園でまったりしていると、少しだけ英語を話せるというおじさんが隣に座ってきてお互いの国の話をしたことがあった。やり取りは長くなかったけれど、翌日同じ公園でたまたま顔をあわせると、遠くから手を振ってにこやかに微笑んでくれた。
空港で国内線の航空券を取ろうとしたときも窓口に英語をはなせるスタッフがおらず、手振りと片言のロシア語でやりとりしたことがあった。そのときもたまたま通りがかった男性が英語通訳してくれ、通訳を終えるとさっと自身の航空券の手配を済ませ、そそくさと帰ってしまった。

旅中、優しさに触れた機会を思い出すと数えきれないくらいで、ウズベキスタン人はすてきな心を持った人々だと記憶している。

 

10)アイスを食べる子供たち

 

 

ウズベキスタン滞在中には他にもいろいろな思い出がある。
サマルカンドの国立外国語大学に日本語科も置かれているという事を知り、アポなしだが訪ねてみる事にしたことがあった。
構内ではウズベキスタンの学生に「コリア?ヤポネ?」と聞かれ、「ヤポネ!」と答えると、「アリガト」とか「オハヨ」などと声をかけられた。ウズベキスタンでは日本のドラマ「おしん」が大ブレイク(しかも全話2〜3周くらい放映くらいの国民的人気ドラマ)したらしく、簡単な日本語を知っているウズベキスタン人は多いようだった。
日本語科は小さな教室が日本語研究センターとして形作っており、日本語を学ぶウズベキスタン人学生と交流する事が出来た。筑波大学に留学していたという学生もおり、どの学生もとても熱心だったのが印象的だ。
ここで気になるクエスチョン。講師はというとJICAから派遣された日本人講師が担当していた。アポなしの訪問にも関わらず僕とウズベキスタン人学生との交流の時間を作ってくれたり疑問質問にこたえてくれた。とても貴重な時間を過ごせた。

11)日本語科の看板

 

12)日本語を学ぶ学生

 

 

さきほど紹介したヒヴァの街では、サマルカンド滞在中に出会った日本人旅行者の方と偶然再会する事が出来た。その方は元タレントで、現在はカメラマンをしており時間を見つけては世界遺産を巡っていると話していた。ぼくは海外に滞在しているときには日本人旅行者と出会っても積極的に関わる事をしないが、初めての1人旅であったこと、この方が以前あい○りに出演し、いろいろな国を旅していた事などに興味が涌き、地ビールとともにいろいろと話しを聞かせてもらった。

13)地ビールとおつまみ


14)おみやげ屋さんの人形

 

もともとソ連の支配下にあり、ロシア語圏で共産主義国家であったウズベキスタンは現在もその名残が強く残っている。駅や空港などの施設では軍事的理由から写真撮影が禁止だったり、設備が利用者目線で作られていなかったり、さまざまだった。それでも人々は陽気で暖かくて、食事もとてもおいしい。本当に素晴らしい滞在をする事が出来る国だ。
名前や印象だと観光に向かないイメージがあるが、実際はそんなことはない。そのギャップ込みでぼくのなかでのおすすめしたい国ランキングで一位(2014年7月現在)に輝いている。
ちょっとマイナーな国に行ってみたいと考えている方にはうってつけだと思う。
ぜひ一度訪れてみてもらいたい。

 

15)バザールで売られているウズベキスタンのナン


16)名物串焼き料理シャシリク


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