東京駅で2時間つぶす方法を調べる日もあれば、関東でバンジージャンプができる場所を調べる日もある。同じ「時間の使い方」でも、この二つはまるで別の行為です。前者は時間を埋める作業で、後者は時間に印をつける作業。今日は後者の話をします。しかも、跳ぶより長くかかるほうの話です。かつて16年間、どれだけお金を積んでも買えなかった葉巻があります。
1日およそ6時間、という自由時間
まず、私たちが持っている時間の話から。総務省の「令和3年社会生活基本調査」は、1日を三つに分けて集計しています。睡眠や食事などの1次活動、仕事や家事などの2次活動、そして自由に使える3次活動です。10歳以上の週全体の平均で見ると、1次活動がおよそ11時間、2次活動が7時間前後、残る3次活動がおよそ6時間という配分になります。
1日6時間ほど。決して少なくありません。問題はその6時間が、細かく砕けているということです。電車で15分、待ち合わせまで40分、寝る前に1時間。まとまった時間のほうが、実は貴重になっています。
キューバ西部ピナール・デル・リオ近郊。葉巻はいまも一本ずつ手で巻かれます。Adam63 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
16年間、値段がつかなかったもの
コイーバという銘柄があります。葉巻を知らない人でも名前だけは聞いたことがある、という程度には有名なブランドです。
始まりは1960年代の半ばでした。エドゥアルド・リベラという職人が巻いていた葉巻が気に入られ、1966年に限定生産の非売ブランドとして形になります。供給先はフィデル・カストロと、党の高官だけ。店には並びません。
巻かれていた場所も変わっています。エル・ラギートという、ハバナ郊外の邸宅です。1961年に女性のための葉巻巻き学校として改装された建物が、そのまま製造拠点になりました。
一般に売り出されたのは1982年。スペインで開かれたワールドカップに合わせての発売でした。つまりこの葉巻には、存在はしているのに誰も買えない期間が16年間あったことになります。品切れでも限定販売でもなく、そもそも売り物ではなかった。
数秒の体験と、1時間の体験
バンジージャンプにかかる時間は、落ちているあいだだけで言えば数秒です。それでも一生の記憶に残る。時間の長さと、記憶に残る量は比例しません。
葉巻はその逆側にあります。コイーバでもっとも有名なエスプレンディドスは、長さ178ミリ、リングゲージ47。チャーチルと呼ばれるサイズで、吸い終わるまでにおよそ1時間かかります。途中で置いて消えてしまえばそれまでなので、他のことをしながらというわけにもいきません。
数秒と1時間。正反対に見えますが、やっていることは似ています。どちらも「その時間を何かで埋める」のではなく、「その時間そのものを目的にする」行為です。関東近郊まで出かけて跳ぶ人と、一本に1時間かける人は、たぶん同じ動機で動いています。

コイーバの箱。黄と黒の市松模様のバンドが目印です。Lupus in Saxonia / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
日本で選べるもの
日本で流通しているコイーバは、サイズの幅が比較的あります。先に挙げた1時間かかるエスプレンディドスのほかに、エクスクイシトスという細めの一本もあります。こちらは長さ126ミリ、リングゲージ33のスモールパネテーラで、同じ銘柄でもかかる時間はずいぶん短くなります。
はじめての一本を選ぶなら、時間から逆算するのが現実的です。腰を据えられる日ならチャーチル、そうでないなら細いもの。キューバ葉巻のコイーバにどんなサイズがあるかを先に見ておくと、当日に慌てずに済みます。なお流通の基本は25本入りの箱で、銘柄によっては5本パックもあります。一本単位の買い物とは感覚が違うので、そこは知っておいたほうがいい点です。

ヒュミドール。湿度を保ったまま葉巻を寝かせておくための箱です。Langinger / Wikimedia Commons, Public domain
買ってから吸うまでの、置き場所の話
ここがバンジーとの一番の違いかもしれません。跳ぶほうは予約して行けば終わりますが、葉巻は買ったあとに保管という工程があります。
葉巻は乾くと味が痩せ、湿りすぎると火がつきにくくなります。そのためヒュミドールという湿度を保つ木箱に入れて寝かせるのが基本です。適した湿度はおおむね70パーセント前後とされ、温度も高すぎないほうがいい。日本の夏をそのまま通すと、どちらの条件からも外れます。
裏を返せば、置いておくこと自体が趣味として成立するということでもあります。買った日から吸う日までの数か月が、すでに体験の一部になっている。予約した日にちゃんと晴れるかを気にするのと、少し似ています。
記念日に、モノを選ぶということ
買えなかった16年間のあいだ、コイーバは「手に入らないもの」でした。1982年に売り出された瞬間、それは「選べるもの」に変わります。値段がついたことで、誰にでも開かれた。
いま私たちが何かを記念に選べるのは、かなり恵まれた状態だと思います。跳ぶ場所も、過ごす場所も、置いておく一本も、自分で決められる。
1日およそ6時間の自由時間。そのうちの1時間を、意識して一つのことに使う日が年に何回かあってもいい。そういう日のために取っておくものが手元にあると、なんでもない週末の見え方も少し変わります。
