毛利は激怒した。
必ず、かの傍若無人のカメラマンを除かなければならぬと決意した。
毛利には持ってきた一眼の使い方がわからぬ。
毛利は、大学を休学しており、今はブラジル日系人向け邦字紙の記者である。日々筆を走らせ、日系人のおじいちゃん達と遊んで暮して来た。
けれども美人に対しては、人一倍に敏感であった。
きょう9時頃毛利は家を出発し、野を越え山越え、約15km離れたこのサンボードロモというサンパウロ・カーニバル会場にやって来た。
毛利にはブラジルに父も、母も無い。彼女も無い。三十六の、不潔な同僚とサンパウロ市内の寮で二人暮しだ。
この同僚は、過去バイト先のマックで、バイトの女子高生の盗撮未遂が発覚し解雇されたことがある。刑務所も間近なのである。彼はトイレの便器に頻繁に尿を引っ掛けるので過去何度も注意したが、治らないので諦めている。
ともかく毛利は、ブラジルの代名詞とも呼べるカーニバルを見るために、はるばる会場にやって来たのだ。
先日には、カーニバル攻略のコツを聞いて回った。毛利には先輩記者があった。Uさんである。今は日本で、ジャーナリストをしている。そのUさんに、コツを訪ねてみるつもりだったのだ。しかしカーニバルも間近に近づいたある日、街中を歩いているうちに毛利は、まちの様子を怪しく思った。
ひっそりしている。
サンパウロは南米1のメガシティだし、それなりに賑やかなのは当りまえだが、けれども、なんだか、市全体が、カーニバル前にしてはやけにおとなしい。のんきな毛利も、だんだん不安になって来た。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、噂ではカーニバル前ともなればブラジルは街全体がカーニバル気分で浮かれ、夜でも皆がサンバして、開放的な気分になり、まちは賑やかになる筈だが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらくしてUさんに会い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。Uさんは答えなかった。毛利は両手でUさんのからだをゆすぶって質問を重ねた。Uさんは、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「パウリスタ(サンパウロ出身の人)達は、カーニバルで浮かれません。」
「なぜ浮かれぬのだ。」
「皆ただの連休だとしか思っては居りませぬ。」
「おどろいた。パウリスタ達は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。田舎の人間しか、カーニバルでは浮かれぬというのです。ただ、一部のカーニバル好きなパウリスタ達が集まるカーニバル会場ではどんちゃん騒ぎで、美女があられもない姿で熱心に腰を振り、中にはポロリもあって、ブラジル政府はコンドームを配ります、その数は、全国のカーニバル会場で合わせて7千万個になります。」
聞いて、毛利は興奮した。
「呆れた国民だ。生かして置けぬ。」
毛利は、単純な男であった。その足で、のそのそ社長室にはいって行った。たちまち彼は、社長室に通された。調べられて、毛利の股間からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。毛利は、社長の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
社長は静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その社長の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「カーニバルの記事を書くのだ。」と毛利は悪びれずに答えた。
「おまえがか?」社長は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、ジャーナリズムがわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。
「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。社長は、社員の忠誠をさえ疑って居られる。」
「だまれ、下賤の者。」社長は、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の下心が見え透いてならぬ。おまえだって、まともな記事を書くつもりもなく、会社の金を使ってカーニバルで美女を見たいだけなんだろう。」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと記事を書く覚悟で居るのに。下心など決してない。ただ、――」と言いかけて、毛利は足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、カーニバルの入場券を与えて下さい。美女のポロリを見たいのです。帰ったらすぐに、私は素晴らしい記事を書き、必ず、新聞に掲載します。」
「ばかな。」と暴君は、嗄がれた声で低く笑った。
毛利は必死で言い張った。「私は約束を守ります。」
それを聞いて社長は、ついに折れた。
「願いを、聞いた。月曜日には記事に書いて来い。おくれたら、その入場券代を、きっと給料から引くぞ。ちょっとおくれて出すがいい。」
毛利は嬉しく、サンバのステップを踏んだ。ものも言いたくなくなった。
―――かくしてやってきたサンボードロモ。
著名なブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤーの設計で作られた2万5千人収容の施設は、11時の開始を前にして早くも熱気を帯びていた。私が向かったのは、記者席。これ以上無い程山車や踊り子に近い席で、バックの待機室には軽食や休憩室も完備というこれ以上無い好待遇だった。
↑待機室の様子
ここでサンパウロ・カーニバルの基礎知識を説明しよう。
1部リーグかつメインである土日のサンパウロ・カーニバルに出場するチーム(エスコーラ、という)は全てで14つ。各チーム数千人程の踊り子が当日練り歩く。決められた時間は1時間で、その他にも山車の大きさや人数などに様々な規定がある。
衣装や山車、踊りなど総合得点で各エスコーラは得点を争い、下位2エスコーラは来年下部リーグ所属となる。なお、月曜に行われた今年の2部リーグには世界的な日本人デザイナー・コシノジュンコ氏が衣装をデザインし、自身も出場したエスコーラがあったが、見事来年の3部リーグ降格を決めた。
↑コシノジュンコ氏デザインの少し生理的嫌悪感を覚える衣装。当日の客席はガラガラだった。右奥の古タイヤの山がコシノ氏
私は上司に頼み込んで、会社のニコンの一眼レフカメラを持ってきていた。なんかデカイレンズと小さいレンズの2種類があったので、「大は小を兼ねるだろう」との思いからデカイ方を装着し、小さい方は置いてきた。ちなみにこの日が一眼を触るのは初めてであった。
カーニバルが始まった。サンバの歌声が鳴り響き、観客のテンションはマックスだ。私は絶好の位置にシャッターを構え、エスコーラを待った。周りのカメラマンは何やらもっとデカイ一眼を構えているが、私のブツだってモノは小さいが、負けず劣らずの性能のはずだ。デカいばかりが能のブラジル人に、日本人の小さいがテクニックで勝負出来るブツをおもいっきり魅せつけてやろうと意気込んでいた。
いよいよエスコーラが目の前に近づいてきた。
ファインダー(というらしい、あの小さいカメラの窓)を覗く。
何かがおかしい。
ズームしすぎで、全体が撮れないのだ。
私は知らなかったのだが、このデカイレンズはズームレンズというらしい。
しかもやたらと高性能なので、思いっきりズームアップ出来るものの近くの写真を撮るのにはこれでもかという程不向きなのだ。見ると、先ほどまでデカイレンズをつけていた周りの連中も皆レンズを小さいものに変えていた。
これでは、まるでアリ退治にゴキブリホイホイを用いる主婦のようだ。
そう思った私はとてもテンパり、レンズをいっそ外してみたらどうかと思ったが、レンズを外すと写真が撮れなかった。
―――手元にある切り札で勝負するしかない。全体画は撮れないから、せめて美人だけ撮って一矢報いてやろう。
腹をくくった私は、見事な戦術切り替えで泣く泣く美人しか撮れなかった。
しかし、よく使い方が分からないので写真がブレることこの上ない。
そうだ、シャッタースピードを上げれば良いとネットで見たな、と思ったものの、シャッタースピードの設定はどこで出来るのかよくわからない。何度かポロリもお目にかかれたものの、毎回ブレに泣かされ、結局ポロリは全然撮れなかった。
その上、絶好の位置にいた私の手前に途中から小太りなブラジル人女性カメラマン(名はルシアナ、推定40歳前後)が無理やり割り込んできて、その豊満な肉体でありとあらゆるシャッターチャンスを潰してきた。
名カメラマン・毛利は激怒し、これにも負けじと、中高ラグビーで鍛えた体幹を武器に見事な競り合いを演じた(でも、ラグビーのスコアで言えば3対49位で負けてたと思う)。
悲劇は重なる。4エスコーラ目が踊っている最中で電池が切れた。
予想外の事態だが、思えばシャッターを切り続けてから既に3時間以上が経過しており、無理の無い話だった。凡人であれば、その場で仕事を諦めたに違いない。
しかし信念の男・毛利は違った。
周りのカメラマンが軒並みプロ用の一眼レフを構える中、毛利はiPhoneで勝負に出た。周りから浴びる視線の節々に感じる、「お前はふざけているのか?」と言う無言の抗議も払いのけ、他のカメラマンがひしめく中絶好の位置に居座り、無我夢中で画面をタッチし続けた。
気づけば、早朝7時。太陽が既に上っている中、最後のエスコーラが登場した。せっかくの電飾はあまり見栄えせず、スポットライトが当たっても太陽光が眩しすぎるのでよく分からなかった。
最後のエスコーラを見届け、私はぐったりと疲れていた。気づけば、3000枚近い写真を撮っていた。
私が前を向くと、ルシアナが笑いかけて手を差し伸べてくれた。堅い握手、ノーサイドの瞬間だ。一晩に及ぶ熱戦で結ばれた、熱い友情がそこにはあった。
なお、インタビューなどを一切行わずにひたすら美女の写真を撮っていたので、翌月曜日にまともな記事は書けなかった。毛利は、ひどく赤面した。
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以下は、私の努力の証である。これらの素晴らしい写真の数々を見て、ぜひ皆さんにもカーニバル気分を味わってほしい。
いかがだろうか。世界広しと言えども、ここまで躍動感に溢れる写真が撮れる名カメラマンは私くらいではなかろうか。
重ねて言うが、躍動感である。手振れでは決してない。
なに、写真ではよく分からない?ならば来年、ブラジルの本物のカーニバルを、自分の目で確かめてみればいい。
あなたの短剣がきっと、疼くはずだ。
(世界市ブラジル支局長・毛利)
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